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モデストファッションが業界を再編している:なぜ「肌を隠すスタイル」が世界的なムーブメントになったのか

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Modest Fashion Is Reshaping the Industry: Why Covered-Up Style Has Become a Global Force
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今年のランウェイでは、何かがはっきりと変わった。挑発的で肌を強調したシルエットで知られる Rick Owens が、2025年春夏コレクションで送り出したのは、足元まで届くオーバーサイズのブレザーや、腕・胸元・首まわりを幾重もの布で包み込み、ほとんど肌を見せないルックだった。これまでショックバリューを武器にしてきたデザイナーが、あえて「隠す」方向へ舵を切る時、それは単なる一過性のトレンドではない。モデストファッションが、商業的にもクリエイティブ面でも「本格的な勢力」として、業界全体の再調整を促しているサインだといえる。

その流れは数字にも表れている。Cognitive Market Research の調査によると、2024年時点で、モデストな服飾市場の規模は、アメリカで658億ドル、ヨーロッパで725億ドルに達している。世界全体では約2,950億ドルにのぼり、2030年には4,850億ドル規模に成長するとの予測もある。これはニッチ市場とはほど遠い数字であり、規模のうえではスポーツウェアやファストファッションに匹敵するカテゴリーになりつつある。

そもそも、どこからが「モデストファッション」なのか?

実は、世界共通の厳密な定義は存在しない。そのあいまいさこそが、このカテゴリーを捉えにくく、同時に興味深いものにしていると言える。基本的には、モデストファッションとは「肌の露出が少ない服」を指し、長めの丈、詰まり気味のネックライン、ゆとりのあるシルエット、ひじより下まである袖といった要素を持ちながらも、「おしゃれであること」をきちんと重視したスタイルを意味する。

この言葉はもともと、服装規定に宗教的・精神的な意味が付随するコミュニティから生まれてきた。例えば、ヒジャーブやアバヤをまとうムスリム女性、ティヘルや膝下丈スカートを着る正統派ユダヤ教の女性、礼拝時にベールやスカーフで頭を覆うキリスト教圏の女性たちなどだ。しかし、現在の購買層は、そうした「信仰実践」の枠を大きく越えて広がっている。

イギリスを拠点に5年間モデストファッションブランドを運営しているデザイナー、Saleha Bagas は、「モデストファッションは、信仰や文化を問わず、あらゆる女性の多様なライフスタイルに寄り添うべき」と語る。その視点ーーまずはスタイルありきで、「制約」ではなく「デザインの前提条件」としての控えめさを捉える発想ーーが、宗教とは無関係に「肌を覆う服」を好む女性たちにもこのムーブメントを広げてきた。仕事の場でのきちんと感、着心地や安心感のため、あるいは単純に美的な好みとして。動機はさまざまだ。

モデストファッション市場を押し上げる要因

この10年ほどで、モデストファッションが急成長した背景には、大きく3つの要因がある。成長が一時的な振り子の揺り戻しなのか、持続的な変化なのかを見極めたいのであれば、この3点を理解しておく必要がある。

ひとつ目は、デモグラフィー(人口動態)だ。世界のムスリム人口は若く、増加傾向にあり、とりわけ購買力の高いミレニアル世代やZ世代が、ファッショナブルな選択肢を当然のものとして求めている。かつて母親世代が選ばざるを得なかった「形ばかりで味気ない実用服」ではもはや満足しないのだ。湾岸諸国、東南アジア、そして近年では西ヨーロッパや北米も、これまで大手ブランドがほとんど目を向けてこなかった巨大市場となっている。H&M、Nike、Dolce & Gabbana などがモデストラインを投入したのは、政治的メッセージを掲げたからではない。明白に「売上」を狙った結果だ。

ふたつ目は、ソーシャルメディアが「見つけ方」の仕組みそのものを変えてしまったこと。業界データによると、モデストファッションの購買行動において、Instagram は約60%の消費者に影響を与えているという。ヒジャーブをまとうインフルエンサーとフォロワーを直接つなぐパイプができたことで、従来のファッション誌や編集者といった「ゲートキーパー」を介さずに情報が広がるようになった。ドバイ在住のブロガーが数百万人のフォロワーを集め、「肌を隠すスタイル」が写真映えすることを実際に見せ、従来のファッションメディアでは取り上げられなかったブランドに売上をもたらすことができる。布地の分量やシルエット、レイヤリングが、露出よりもむしろ視覚的に豊かになり得るーーという「美意識としてのモデスト」の主張は、キュレーションされたフィードの中で何百万回となく実証されてきた。

そして三つ目、ここからは筆者自身の観察も交えて言うと、「身体そのものを見せ物にする」ことに依存してきた従来のファッション観に対する、より広範な疲労感がある。モデストな美意識は、「挑発よりもエレガンスを」「ショックよりもクラフトマンシップを」という、別の価値体系を提示する。着る人が無理に注目を「求めなくても」存在感を放つ服。常時、記録され監視されているかのような現代において、宗教とは無関係に「これ以上さらしたくない」と感じている女性たちの心に、そのスタンスは響いている。

実際、ランウェイでは何が起きているのか

ハイファッションのレベルでも、モデストなシルエットの採用は現実のものとなっている。ただし、その影響を誇張しすぎるべきではない。Rick Owens のようなデザイナーたちは、たしかに「覆う」要素をコレクションに取り入れているが、彼らの核心となる美学を捨てたわけではない。むしろ表現のボキャブラリーを拡張しているとみるべきだ。

Vogue Arabia の最近のラマダン特集でフィーチャーされた House of THL は、その好例だ。伝統的なシルエットに現代的なディテールを掛け合わせ、リネンのソフトなドレスにコルセットベルトを合わせたり、カフタンにクリスタルの装飾を施したりしている。デザイナーの Nighat Ahmad は、最新コレクションを「繊細で幻想的なスタイルを、洗練された装飾パターンで高めた、はかなげなダンスのようなもの」と表現する。

ここにある緊張関係は、じつに示唆的だ。モデストファッションがビジネスとして成功するのは、「規定を守るためだけの服」ではなく、あくまで「本当におしゃれな服」を提供できたときに限られる。勢いのあるブランドは、「徳」や「つつましさ」そのものを売っているのではない。「たまたま肌を覆っている、美しい服」を売っているのだ。

あまり語られていない疑問点

調査を進めても、どうしてもはっきりしなかったのが、「市場の成長分のどれだけが『新しく生まれた需要』で、どれだけが『これまで見落とされてきた購買行動が、ようやく数えられるようになった結果』なのか」という点だ。たとえばロンドン在住のムスリム女性が、大手ブランドでミモレ丈のワンピースを買ったとき、それは市場調査上「モデストファッション」としてカウントされるのだろうか。それとも、明確にモデスト層向けとして打ち出したブランドから購入した場合だけが、その数字に反映されるのだろうか。

2,950億ドルという市場規模は、あらゆるところで引用されているが、その算出方法は不透明なままだ。調査会社によっても推計値は大きく異なり、「モデスト」や「ハラールファッション」をどこまで含めるかによって、850億ドルから4,070億ドルまで幅のある数字が提示されているのを目にした。

また、モデストファッションのコミュニティ内部では、「文化の盗用」や「オーセンティシティ(本物らしさ)」をめぐる複雑な議論も進行している。ラグジュアリーブランドがラマダン向けのカプセルコレクションを出すとき、それは「包摂」なのか、それとも「搾取」なのか。ムスリムではないインフルエンサーが、ビジュアル的な魅力を理由にモデストなスタイルを取り入れることは、このムーブメントを社会的に正当化することになるのか、それとも文化的な意味を薄めてしまうのか。

明快な答えは簡単には出せない。そして何よりも気になるのは、本来このカテゴリーを築き上げ、市場として魅力的になる前から支えてきたデザイナーや消費者たちーー彼女たちこそ、もっとも話を聞きたい当事者であるにもかかわらずーーが、いまの議論の中心に十分に登場していないという事実だ。

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モデストファッションのこれから

このカテゴリーの長期的な行方は、ブランド側がモデストな消費者を「恒常的な顧客層」とみなすのか、それとも「一時的に掘り尽くして去るトレンド」として扱うのかにかかっている。ファッションの歴史を振り返れば、「新興市場」として一時的に脚光を浴びながら、数シーズンで忘れ去られた例はいくらでもある。

ただ、今回がそれらのケースと決定的に違うのは、人口動態の「数字」が動かしがたい事実として存在している点だ。モデストファッションの成長を牽引している消費者たちは、どこかへ消えてしまうわけではない。むしろ、彼女たちの購買力はこれからも増していく。

おそらく今後は、モデストファッションが「独立したカテゴリー」として語られることが少なくなり、アスレジャー(スポーツミックス)がそうであったように、「人々の普通の装いの一部」として、メインストリームのコレクションの中に自然に組み込まれていくのではないだろうか。勝ち残るのは、「モデストであること」を妥協や我慢として扱わなかったブランドだ。なぜなら、こうした服を選んでいる多くの女性たちは、そもそも「肌を覆うこと」を欠乏や犠牲だとは感じてこなかったからである。